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大阪高等裁判所 昭和45年(う)161号 判決

被告人 辰巳賢司

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は弁護人池田作次郎作成の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

論旨は被告人の本件所為は盗犯等の防止及び処分に関する法律一条一項三号に該当する正当防衛行為であり、かりにそれが認められないとしても同法一条二項の場合に該当するものであるから無罪である。原判決が右のいずれをも認めずほんらいの過剰防衛行為であるとして有罪としたのは法令の解釈適用を誤つた違法があるというのである。

よつて所論にかんがみ記録を精査し、矢野晃の司法巡査に対する供述調書、証人辰巳久治、同辰巳英子ならびに被告人の原審公判廷における各供述被告人の司法巡査に対する供述調書被告人に対する検察官の弁解録取書を総合すると被告人が矢野晃に対し本件傷害行為にでるに至つた経緯、状況は次のとおりであることが認められる。すなわち、被告人の父辰巳久治は被告人の肩書住居地で麻雀店「喜楽荘」を経営し、被告人はその手伝をしている者であるが矢野晃は右麻雀店に本件の約二年位前から客として出入りしていたこと、ところが本件の数日前矢野が酒に酔つて店に来て乱暴を働いたことがあつて、右久治が店員を介して矢野に店に出入りすることを断つたことがあり、矢野はこれに憤慨し、久治に対し反感を抱いていたこと、本件当日午後四時前頃被告人は右店の奥の住居で父久治と二人で雑談していたところへ右矢野が酒気を帯びて入つて来たのを見て「困つた奴が来た」と思つていた矢先同人は入つて来るなり久治に対し、「この間はネス(客)の前でよくも恥をかかしてくれた、どうしてくれるんだ」等と大声で暗に金員を要求するようなことを言つて詰問した。しかし久治はこれに答えないで「文句があれば酒を飲まずに出て来い、帰れ」とか「出て行け」とこれまた大声で退去を促したけれども同人は「そんなこと言つていいのか」と応酬し、両者はげしい口論となり、その際、矢野は上り口の踏み台に腰を掛けていた久治に近寄るなり靴の先で久治の左足の大腿部辺を蹴りつけたので、これを見た被告人は右両名の間に入り矢野の服を掴んで同人を久治から引離した。ところが矢野はその直後被告人の肩越しに久治の身体を掴んで離さず、そのため三人が三つ巴になつてもみ合ううち、被告人は咄嗟に傍らの壁に掛けてあつた目玉焼用のフライパンを手に取るなり矢野の頭部を二、三回殴打し因つて同人に原判示のような傷害を負わせたことが認められる。矢野は司法巡査に対して自分と久治との口論喧嘩の最中被告人がいきなり殴つたもので、自分は全く手出しをせず、久治の足を蹴つたこともない旨供述しているけれども他の関係人の供述に徴し、また同人が同所へ訪ねて来た目的、その時の言動からみてもとうてい信用することができない。

そこで右認定の事情の下において、被告人の右所為が果して盗犯等の防止及び処分に関する法律一条一項の正当防衛行為に該当するか否かについて検討してみると矢野が被告人方に来たのはさきに被告人父久治から店に出入りすることを断わられたことに因縁をつけ、あわよくばいくらかの金にしようという目的で来ていた疑いが多分に感じられるばかりか、仮にそうでないにしても久治から強く退去を要求されながら敢えてこれに応じないで却つて同人の大腿部辺を足蹴にし、被告人に服を掴まれて久治から引離されるや今度は被告人の肩越しに久治の身体を掴んで離さなかつたというのであつて、右矢野の一連の行為は久治にとつては右法律にいう現在の危険があつたということができるのである。しかし被告人のした行為が正当防衛と認められるためにはそれが右の危険を排除するため、つまり防衛の意思の下になされたものであることを要するのはいうまでもない。この点に関して、被告人は司法巡査に対して、「父が蹴られたので腹が立つて……殴つた」と述べ検察官に対しても同趣旨の弁解をし、証人栗林邦雅、同川瀬宏の原審公判廷における各供述によつても被告人は捜査官の各取調べに際しても自己の行為が父久治を助けるためにしたことであつて、正当防衛であるというような主張を全くしなかつたことが認められるほか、原審公判廷においてさえ、「三人が三つ巴になつてもみ合つていた際興奮して無意識に殴つたというだけで特に正当防衛であるとも主張していない。そればかりか被告人は矢野がその数日前酒に酔つて来て店で乱暴して父から出入りを断わられたことを知つており、本件当日同人がまた酒に酔つて入つて来たのを見て、「困つた奴が来た」と思つて内心快よからず思つていた矢先であること等を考え合せると、被告人は防衛のためというよりはむしろ父に対する暴行に腹立ちの余り攻撃のみの意思で殴つたものとみられないわけではない。しかし被告人がフライパンで殴るに至つた経過ことにはじめ父が足を蹴られたのを見て被告人はすぐさま両者の間に割つて入り矢野を父から引離して父を矢野の暴力から守ろうとしたのに、再び自分の肩越しに父の身体を掴んで離さないことから三人が三つ巴になつてもみ合ううち妻に一一〇番に電話するよう指示したのち傍らにあつたフライパンで殴つたものであること等被告人の一連の行為を客観的に観察すると被告人が矢野を殴打するに至つた心裡には同人の執拗な暴行に極度に憤慨し、同人に対する攻撃意思が強く働いていたのはもちろんであるけれども、それのみではなくそれと同時に父を同人の暴力から救おうとする防衛意思もまた併存していたことは否定することはできないのであつて右の攻撃意思も防衛意思を否定するほど強いものであつたとは考えられない。被告人が捜査官に対し自己の行為が正当防衛である旨の主張をしなかつたとしてもそれが法律智識の乏しい者の供述であることを考えると特にその点の主張のなかつたからと言つて直ちに全く防衛意思を欠いていたことの根拠となすことはできない。そこで進んで被告人の所為の防衛行為としての相当性について考察するに前掲証人辰巳久治同辰巳英子同栗林邦雅同川瀬宏及び被告人の原審公判廷における各供述原審の検証調書を総合すると、矢野は当時何らの兇器を持つていたわけではないけれども、被告人及びその父久治に比べて体格も体力も幾分勝れていたと考えられるうえに、酒にも酔つており、同所へ来た目的から見て多少強暴性を帯びその行動も執拗であつて、久治の身体を掴んで離さなかつたこと、被告人方には当時表の店には男の店員二名がいたけれども、店員を呼ぶには多少時間を要し、咄嗟の間に合うとは思われないこと、被告人らのもみ合つていた場所は間口僅か六八糎の極めて狭隘な出入口に近くまた炊事用の流し台あるいはガスコンロ等の傍らで極めて危険な場所であつたこと、また被告人が手にしたフライパンは目玉焼用の極めて小さいもので、しかもそれはすぐ傍らの壁に掛けてあつたものであること等が認められ、これらの諸点を考え合せると被告人が同人の父久治に対する前記危険を排除するためにフライパンで矢野を殴打するに至つたことは宥恕すべき事情があり、防衛行為として特にその程度を超えたものとは認められない。すなわち、防衛行為として相当性の範囲を逸脱したものとはいえない。

以上のとおりであるから被告人の所為は盗犯等の防止及び処分に関する法律一条一項三号に該当する正当防衛行為に該るものというべきである。

しかるに原判決が被告人の所為について正当防衛を認めずこれを過剰防衛であるとして有罪の言渡をしたのは法令の解釈適用を誤つた違法があり、明らかに判決に影響を及ぼすものであるから原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書にしたがい、さらに次のとおり自判する。

本件公訴事実は

被告人は昭和四一年五月六日午後三時五五分頃大阪市西成区東田町七六番地自宅麻雀店喜楽荘において、矢野晃が被告人の父を足蹴りしたことに立腹し、同人に対し、フライパンをもつて頭部等を殴打し因つて治療約一週間を要する左側頭部切創兼擦過症等の傷害を加えたものである

というのであるが被告人の所為はさきに判断したとおり正当防衛行為に該るものであるから刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。

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